突然ですが、
日本にはマクドナルドが何店舗あるかご存知ですか?
答えは約3,300店舗です。
なんと一つの県に約60-70個くらいあるのです。
今日はその創業者であるレイ・クロックの人生を紹介したいと思います。
アメリカを代表する企業・マクドナルドの社長の人生とは?
レイは、52歳の時からマクドナルドの事業に関わりました。
カリフォルニアのサンバーナーディノにてマクドナルド兄弟が営むハンバーガー屋に出会い、
そのフライドポテトに惚れ込んだことが始まりでした。
当然ですが事業を始めた後は、
たくさんの困難が待ち受けていました。
パートナーとの離婚、
立ち上げ期のメンバーとの別れ、
マクドナルド兄弟による裏切り。
ですがレイはすべての困難に打ち勝ち、幾多の試練を乗り越え、
生涯で5億ドルの富を築き、『タイム』誌の「Time 100」にも選出されました。
そんな彼の人生から、何か学べることはないでしょうか?
クロックは大学をでていません。
高校を中退し、その後はピアニスト、紙コップのセールスマン、ジャズ演奏家、
バンドメンバーなど職を転々としていました。
最後には、ミルクシェーク製造マシンのセールスマンとしてアメリカ中を旅してまわっていました。
そんな中、
信じられないくらい繁盛しているハンバーガーショップがあると聞いて、
興味を持ちセールスに行きました。
そこが、マクドナルド兄弟の店だったのです。
最初はシェイクを一度にたくさん作れるマルチミキサーを売り込むためにいったレイでしたが、
効率化された調理システムがあるマクドナルド兄弟の店を見て、
考え方が変わります。
そこで、ハンバーガーチェーンの展開を思い立ったのです。
「私と組んで、チェーン展開しませんか。」
そう口説くレイ・クロックに対して、マクドナルド兄弟はこう言います。
[quote style=’1′ cite=”]「あそこに、大きな白い家を持っているんだ。 広いフロントポーチ付きのね。
すごく気に入っている。 ふたりでポーチに腰掛けて、夕日を眺めたり、
この店を見たりしながら、幸せを実感しているんだよ。
これ以上、何を望むというのかね?
私たちは、いま十分に満足しているし、これ以上、何も欲しくはないのさ」
[/quote]
たしかに、それはそうかもしれない。
けれども、52歳のレイ・クロックはそれまで多くのビジネスを体験していたので、
この店をチェーン展開すれば、絶対に大成功すると直感的にわかっていた。
だから、自分がリスクを取ってやろうと周りに宣言して、
兄弟と交渉してフランチャイズ権を獲得、翌年最初のフランチャイズ店を出店します。
その6年後にはマクドナルド兄弟との意見の衝突などから、兄弟から商権を買収、1984年に81歳で亡くなるまで、
なんと世界34カ国で8300店舗のマクドナルドのお店を開きます。
1974年にはプロ野球チームのサンディエゴ・パドレスのオーナーにも就任しています。
52歳からのレイの起業を支えたこととは?
一般的に考えると、52歳からのスタートは、とても遅いです。
けれども、それまでの半生記の職の「経験」と「信念」、
そして「継続する力」があったからこそ、レイ・クロックはマクドナルドを
現在のような世界的企業に成長させることができたのだと思います。
もし、その日、マクドナルド兄弟の元に現れたのが、
30歳のレイ・クロックだったなら、おそらく、途中でビジネスは失敗していただろうと思います。
まさに【遅咲き】であり、信念を貫いた人です。
時間がありません!は言い訳に過ぎません。
時は変わって、近頃の受験生からの相談に【今からでも間に合いますか?】という質問があります。
ですが、間に合う、間に合わないではなく、
なんとしても間に合わせなければいけません!
なんとしても間に合わせるんだ!!という強い信念をもってください。
自分では今からでも遅いと思っていても、強い信念を持ち継続して勉強をすることができれば必ず夢は叶います。
最後に、彼の著書の中から珠玉の名言を皆さんにご紹介したいと思います。
[quote style=’1′ cite=”]
「未熟でいるうちは成長できる。成熟した途端、腐敗が始まる 」
[/quote]
[quote style=’1′ cite=”]
「諦めずに頑張り通せば、夢は必ず叶う。もちろん、努力もせずに手に入るものではない。
好き勝手にやればいいというわけではない。リスクへの覚悟が必要だ。
ひょっとしたら無一文になるかもしれない。しかし、一度決めたことは絶対に諦めてはならない。」[/quote]
クロックのように、最後まで諦めず、努力をして志望校合格を掴んでください。
必ず春は訪れます!
10分でわかる レイ・クロックの創業話
レイ・クロックの伝記です。