現代の世界に生きていてこの男の名前を知らない人はいないでしょう。
その男の名はウォルト・ディズニーです。
死後50年後以上たっても人々を魅了し続けているのは、”魔法”と言えますね!
今回は天才・ウォルト・ディズニーがどのような人生を送ってきたのかをスポットを当てていきます。
ディズニーの生い立ちとは?
1901年イリノイ州のシカゴで彼は生まれました。
幼少の頃から絵を書くのが好きで時間を忘れて絵を書き続けていました。
天才に共通する項目ですが、子供の頃に一つのことに熱心に取り組めることがあるのは羨ましいですね。。
その後、ディズニーが17歳の時に第一次世界大戦が終わったばかりでしたが、もっと色々と世界を見て行きたいとの希望と愛国心にかられて美術学校、高校をやめて軍へと志願しました。
その後、若年であったため赤十字への衛生兵として負傷した兵士の治療や輸送に従事していました。
(*驚くことに同じ衛生兵の中にはあのレイ・クロックもいました。)
ディズニーは軍にいるあいだも、絵を諦めずに書き続けていたのでした。
彼は、絵を忘れることはできなかったのです。
天才の絵を世間ほがほうっておくわけがありません!
軍の間でもディズニーの書いていた絵は評判となり軍をやめて漫画家を目指すようになりました。
アニメーションへの決意
軍をやめた後、ディズニーは最初新聞の漫画を書くことをしていましたが、天才といえどいきなり仕事をもらえるほど甘くはなく成功どころか日々の生活にも困るような日々を過ごしていました。
その後、デザインの会社に入社してアブ・アイワークスという生涯の友に出会ったことをきっかけとし、1920年二人で「ウォルトアイワークスカンパニー」というデザイン会社を作ったのでした。
ですが、同年ディズニーはカンザスフィルム社にアニメーターとして雇用されたために会社自体は長く続きませんでした。
このカンザスフィルム社でのアニーメーターとしての仕事が彼の人生を変えました。
自分の仕事をしながら、会社の機材を借りてアニメーション制作に没頭。
今後のアニメーションに高い可能性があることを確信していったのでした。
アブ・アイワークス、兄のロイ・ディズニーとともに現在のウォルト・ディズニー社を立ち上げて、
1928年11月18日「蒸気船ウィリー」でスクリーンデビューをしました。
破竹の勢いは終わらない
その後も、今でも数多くのファンがいる『白雪姫』、『ピノキオ』『バンビ』『ファンタジア』などの長編作を発表。
破竹の勢いで映画を公開し続け、アニメーション界でのウォルト・ディズニー帝国を築き上げました。
その後にはディズニーランドを立てたりととどまることを知りませんね。。
ディズニーの一生がさらにくわしくわかる動画はこちらでチェック