アレクサンダー大王は、世界史上の大帝国、古代マケドニアの王は、として知られています。
アレクサンダーは英語読みで、ギリシャ語ではアレクサンドロスと言います。
彼は、マケドニア王であった父・フィリッポス2世のもとに紀元前356年に生まれました。
知力も体力もずば抜けて優秀、父が用意した最高の環境で帝王学や思想などを学びました。
大哲学者・アリストテレスの影響
その優秀な教師の中には、哲学者・アリストレテスもいました。
彼らのおかげもあり立派に成長した王子は、18歳の時に父親であるフィリッポス2世に従い、ギリシャに出兵、カイロネイアの闘いで初陣を飾ります。
アリストテレスとは・・哲学者ソクラテスの弟子のプラトンに師事する。
アリストテレスの生み出した概念には現代まで影響を与えているものも少なくない。
東邦遠征〜若くしての死まで
その後、父が暗殺されると、アレクサンダー大王は20歳という若さで王位を継承しました。
父の遺志を継いだアレクサンダー大王は、マケドニアやギリシャを従え、ペルシア遠征を行います。
シリアやエジプトまで掌握すると、ついにはインドにまで侵攻します。
これが、「アレクサンダーの東方遠征」と言われる戦いです。
アレクサンダー大王は、騎兵を用いた戦いを得意とし戦術の天才と言われ、数多くの逸話を残しています。
征服した地域は東西で実に4,500キロにも及ぶと言われています。「征服王」と呼ばれた所以です。
数々の戦いに勝利し、意のままに領土を手に入れていったアレクサンダー大王ですが、最後はマラリア蚊にさされて熱病にかかり、32歳の若さで亡くなったと言われています。
遺言は「最強の者が帝国を継承せよ」という大変曖昧なものであったため、継承者争いが激化しました。
その結果アレクサンダー大王が作り上げた帝国は脆くも分裂してしまう・・という皮肉な最後を迎えてしまったのです。